
店舗や事務所として借りていた賃貸物件を退居するときの原状回復において、貸主(オーナー・不動産会社)と借主(テナント)の認識の違いなどによるトラブルがあとを絶ちません。入居者からは、「どこまで原状回復費用を負担しなければいけないのか」「なぜこれほど高額な費用がかかるのか」「そもそも、原状とは?」とさまざまな疑問の声が聞かれます。
この記事では、店舗や事務所の事業用賃貸物件における借主(テナント)の原状回復義務の範囲について、トラブル事例を交えて解説します。記事の最後では、トラブルを回避するためのポイントも紹介しています。
Contents
店舗・事務所(オフィス)における原状回復とは?
原状回復とは、”入居前の状態に戻す”工事のこと。店舗や事務所として借りた賃貸物件を退居するとき、借主は入居前の状態に戻してから貸主に明け渡さなくてはなりません。これを原状回復義務といいます。
店舗や事務所の原状回復義務の範囲について解説する前に、まずは住居用物件と事業用物件の違いから説明していきましょう。
『住居』と『店舗・事務所』の原状回復義務の違い


こんな疑問を持ったことがある事業者さんは多いのではないでしょうか。
まず、一般的に住居用の賃貸物件では、通常使用による損耗(通常損耗)や経年劣化の修繕については貸主(オーナー・不動産会社)が負担するとされています。それ以上の不注意による損壊や、手入れを怠ったためにできた汚損は借主(入居者)の負担となって、入居時に払った敷金から差し引いて返還されるのです。これは、賃貸マンションやアパートを退居したことがある人なら経験があるでしょう。
そもそも住居用物件では、通常の生活をしていて起こりえる経年劣化はある程度想定できるもので、通常損耗の修繕にかかる費用はあらかじめ賃料に組み込まれていると考えられます。
では、店舗や事務所といった事業用物件ではどうでしょうか?例えば、飲食店と事務所では使用状況は大きく異なります。さらに、貸主にとってはどちらの業務形態であってもどのくらいの人がその物件に出入りするのかも分からず、どの程度の修繕費がかかるのか想定するのは困難なことです。
そのため、事業用物件では原状回復にかかる費用を賃料に組み込むのではなく、退居時に借主が100%の原状回復費用を負担するのが一般的になっています。
『店舗・事務所』の原状回復特約の扱い
ここまで説明した原状回復義務の範囲は、住居用物件や事業用物件にかかわらず『賃貸借契約書』また『原状回復特約』によって取り決められています。
物件への入居を決めたときに貸主と借主の間に交わされる『賃貸借契約書』には、契約物件や契約内容、使用目的などについてと共に、原状回復義務についての条文が記載されています。さらに、特約として、借主がどの範囲の修繕を負担しなければならないのかを決める『原状回復特約』が記されていることが一般的です。
では事業用物件での原状回復義務とその特約の例文を紹介します。
賃貸借契約書の例文
(原状回復) 第◯条 乙(※1)は、本契約終了後直ちに、本件貸室に保管している所有物および残留品を撤去し、本件貸室を原状に復して、甲(※2)に明け渡すものとする。 (特約) 第△条 第◯条までの規定以外に、本契約の特約については、下記の通りとする。 ①間仕切り、建具(パーテーション)などの撤去 ②壁・天井・床の張替え(塗替え) ③電気などの配線 ④造作物の撤去 ⑤看板・ネオンなどの撤去 これらの修繕等は乙の負担とする。 ※1 乙は借主(入居者)のこと |
原状回復特約は、入居前の物件状態によっても変わり、貸主と借主の協議のうえで取り決めます。一方で、2020年4月に施行された改正民法によって、これまで定められていなかった原状回復義務の範囲が明確になりました。
【改正民法 第621条】
賃借人は、賃借物を受け取った後にこれに生じた損傷(通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化を除く。以下この条において同じ。)がある場合において、賃貸借が終了したときは、その損傷を原状に復する義務を負う。ただし、その損傷が賃借人の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない |
事業用物件では契約後すぐに入居できる物件は少なく、何らかの工事が施されることがほとんどです。また、先述のように使用状況は契約時にはわからないもの。
そういった性質から、両者の合意があれば、民法の定めとは異なる特約を設けることができると考えられています。反対に、特約に定めがない場合は民法に則り、“通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化”は貸主の負担とすることができるのです。
ちなみに、住居用物件で通常損耗の修繕を借主の負担とする特約が設けられていた場合、『消費者契約法(※3)』が適用されて特約は無効とされることがあります。住居用と事業用の特約の違いを正しく知っておくことも大切です。
※3 消費者契約法とは、交渉力や情報において不利な立場にある消費者を、不当な契約から守るための法律です。事業者と消費者の間でのみ適用され、事業者間の契約には適用されません。
次の章では、さらに貸主と借主の間で起こる原状回復トラブル事例を紹介します。
店舗・事務所の原状回復トラブル事例
事業用物件の原状回復をめぐり、どのようなトラブルが起こっているのでしょうか。具体的な事例を3つ紹介します。
事例その1 クロスの張り替え
入居前、クロスは新品ではなかったのに退居するときは張り替えを求められました。
原状回復はあくまで元の状態に戻すことであり、元の状態よりよくする義務は借主にはありません。年数が経っていたとしても事務所仕様など状況によっては通常損耗の範囲内と考えられます。
そのため、特約に明記されていない限り借主負担とならないことを主張できるといえるでしょう。
事例その2 古い備品を入れ替えた
こちらは設備の入れ替えによって、起こった事例です。元々あった設備を入れ替えるには、貸主と借主の協議のもとに行うよう契約書で定められていることが一般的です。その際、退居時についてもしっかりと取り決めておく必要があります。
場合によっては何年も前の設備に戻すことが難しかったり、次の入居者にとっても元に戻さない方がメリットになったりすることもあるでしょう。貸主との交渉は慎重に。
事例その3 スケルトン渡しのはずが……
不動産におけるスケルトンとは、内装を全て剥がした構造や骨組みだけの状態のことを言います。鉄筋コンクリートの建物であれば、いわゆるコンクリート打ちっ放しの状態。
この場合、貸主は配管を残し内装だけを撤去することを希望していたのです。借主は床下の配管も撤去し言葉通りスケルトン状態で明け渡したという、認識の違いから起こったトラブルです。
スケルトン渡しの契約であっても、床や配管など貸主が残すように要望することもあります。貸主と借主、さらに工事業者の間で共通の認識を持っていなければこういったトラブルに発展してしまうのです。
トラブルを避けるためにできること
トラブルが起こる原因の多くは、貸主と借主の間で原状回復に対する認識のズレがあることだと言えます。では、どのようなことに気をつければいいのでしょうか。
入居前点検で入居前の状態を記録する
不動産会社では前入居者との『退居時点検』、次の入居者が決まったときの『入居前点検』などによって状態を管理しています。しかし、そのことに安心していると、退居時になって、入居前からあったものかなかったものかわからない、という事態になることも。
そういった万が一のトラブルを防ぐために、入居前に壁や床の状態や造作物の有無は写真に取っておくとよいでしょう。
不明点は明確に、両者の同意があれば口頭約束も効力を持つ
契約を交わすときに不明点や曖昧な部分があれば必ず確認し、明確にしておきましょう。賃貸借契約書に記載のないことも、貸主と借主の同意で交わされた口頭での約束は有効な契約内容となります。
ただし、この場合も、後に「言った、言わない」という事態にならないように文書化し署名するなど証拠を残しておくことが大切です。
相見積もりをとるならスケジュールに余裕を持って
原状回復工事は貸主の指定業者に任せられることがあります。その場合、原状回復費は貸主の言い値で借主の負担になるのです。「こんなに高くなるものなのか」と安い業者による工事を交渉しても、貸主も安い業者に任せて手抜き工事をされては困るので、なかなか耳を貸してはくれません。
とはいえ借主が適正な相場を知りたいと思うのは当然。相見積もりをとったら内訳を精査し、相場とあまりにも差があるようなら値引きを交渉してみるのも一つの方法ではないでしょうか。
また、工事業者が指定されていない場合は、借主が工事業者を決めることができます。後にトラブルとならないように信頼できる業者を探しましょう。
いずれにしても、契約終了日を過ぎて工事が完了していないと、明け渡しまでの日数の遅延損害金が発生してしまいます。退居準備はスケジュールに余裕を持って進めなくてはなりません。
まとめ
2011年、国土交通省による原状回復をめぐるトラブル原状回復のガイドラインがまとめられました。また、2020年の民法改正ではこれまで言及していなかった通常損耗の負担についても定められています。
貸主と借主の認識に違いがあるままではトラブルを防ぐことはできません。事業用物件における、原状回復義務の範囲や注意点を知って、トラブルのない退居を迎えましょう。